おっ、新入部員の鹿礒亮太です。
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さっそくですが自己紹介に行かせてもらいたいと思います。
名前 鹿礒 亮太
学年 1回生
学部 政策創造学部 政策学科
趣味 本を読んだり、野球の観戦をすることです。
僕の苗字は「カイソ」と読むのですが、この記事をお読みの方で僕の苗字を一発で読めた方がいらっしゃるのでしょうか・・・・
今までの人生で僕の苗字を一発で読めた方は片手で数えるほどしかいないと思います。
新しい出会いなどがあるとこの苗字はとても便利です。まず、珍しい名前というだけで会話を持たせることができ、なおかつ僕の名前を覚えてもらうことができます。特に大学に入学してからこの便利さを実感する機会が多くなりましたね。まだ、右も左もわからずに生まれたての小鹿ちゃんよろしくビクビクしていた僕に、自転車部の先輩方が名前のことを聞いてくださるので、何を話せばいいのかわからなかった僕は自分の名前について説明することができたのです!!それはもう、水を得た魚のように生き生きと話していたと思います。気分は生まれたての小鹿ちゃんからリュウグウノツカイにかわったようなものでした。
まだ苗字の話は続きます。
僕の苗字には由来というものが一応存在します。それは石川県 輪島市 門前町 鹿磯
という地名があるのですが、親からはそこが由来であると教えられています。部室で名前について説明したついでにこの話をすると、実は女子班が合宿で輪島のほうへ行かれたという話を聞きました。それならば鹿磯漁港という漁港があるくらいなので、なんらかの形でツアー中に鹿磯の土地を走っていたのであろうと思われます。そうです、ツアー班の一部の方々は僕に出会う前に鹿磯に出会っていたのです!!なんと劇的で感動的な話なのでしょう・・・・え?感動しない?またまたぁ。感動しますよね、感動してください、感動していただけましたか?ありがとうございます。
まあ、僕の鹿礒と石川県の鹿磯とでは若干漢字が違うのですけれど、僕の礒は古い漢字なので地名としては鹿磯となっています。(わかりやすく言うと高橋と髙橋の違いみたいなものです)
さて、苗字の話はこのくらいにして、どうして僕が自転車部のツアー班に入部したのかについて話したいと思います。
僕は中学、高校と野球部でした。
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証拠写真(バッターが僕です、ちなみにこの後セイフティバントをします)
自転車といえば登下校に使ういわゆるママチャリと呼ばれる自転車くらいしか乗ったことがありませんでした。入学式が終了してどんなサークルに入ってやろうかと、色々なサークルの話を聞いて回っていると一人の男性に話しかけられました。その人は紺色の自転車部のジャージを着ていました。その人が僕を自転車部ツアー班に入部するきっかけを作ってくださった運命の人、谷所さんです。まさに谷所さんは運命の人と呼ぶにふさわしい方です。その時も話だけ聞いてやるか、みたいな感じで話を聞いていたんですが北海道に自転車で行った話や全国いたるところで走りまくっている話を聞いた瞬間、軽く聞き流しながらお昼ごはんを何にしようかと考えていた鹿礒に電撃走る。これは運命だと確信しました。そして僕は自転車部のツアー班に入部することに決めました。僕の運命の人である谷所さん、雨が降りしきる中勧誘していただきありがとうございました。
と、これ以上書きますと自伝小説の出版依頼が色々な出版社から殺到し、ハードカバーで税抜き価格1,800円くらいで出版した挙句その小説が300万部を売り上げ、ウハウハな印税生活に突入し、その上実写映画化され、またその収入が入ってきて芸能人に友達ができ、大物女優との間でのスキャンダルが雑誌などで取り上げられ、学生の本分である学業と自転車部での活動に支障をきたす可能性があるのでこの辺で終わっておきたいと思います。
初めての記事だったのでたどたどしい文章だったと思いますが最後まで読んでいただきありがとうございました。これからは、先輩方のような楽しい記事を書けるよう努力する所存であります。
以上、ごっつぁんでした。