おっ。韓国縦断ツアーやっとこさソウル入りの巻です。
8月22日(金) 晴れ 125km
○天安市Cheonan→成歓→平沢市→松炭市→鳥山市Osan(43km)→台安→水原市→義王市→安養市(76km)→ソウル特別市Seoul(110km)
06:00 起床、朝食
07:10 出発
09:00 後輪パンク
09:50 鳥山
10:50 水原
12:10 安養市
12:45 ソウル
13:30 自転車道発見
14:20 漢江
14:50 漢江大橋
15:15 ソウル駅
16:00 光化門広場
16:10 日本大使館
16:35 YE IN GUEST HOUSE(イェイニネゲストハウス)
18:20 外出、散策
19:50 夕食
20:40 帰宿
23:00 就寝
宿から出ると空は晴れ。自転車のチェーンに油をさして出発します。ソウルまではひたすら国道一号線沿いに。平沢市に入ってすぐに後輪がパンク。小さなガラスの破片が刺さっていました。パンク修理しているとメガネのおっちゃんがマスカットジュースを買って持ってきてくれました。韓国の道路の路面状況は日本とそう変わらない印象でしたが、注意深く走行しないとパンクしやすい荒れた区間もよく見かけます。
烏山(オサン)で小腹がすいたので道沿いの露店で野菜たっぷりのあんが入った揚げ物を買って食べます。
下の写真は途中で見かけた韓国戦争(=朝鮮戦争、僕が会った韓国の人は皆こういいました)の石碑。1950年6月25日に北緯38度線にて宣戦布告なしに北朝鮮軍の砲撃が開始されたということです。それと、国連軍初戦記念館も見かけました。烏山はマッカーサー元帥率いる米軍と北朝鮮軍が初めて本格的に衝突した場所だそうです。そんな歴史を横目に快走。水原を通過し昼過ぎに安養に入り。
すでにソウルまでの距離を示す看板が見受けられました。雲は少なく晴れているのにソウルに向かって北に進めば進むほど空が霞んでいきます。空気が悪い。韓国のサイクリスト(ほとんどがMTB)の多くは口を覆い隠すことのできるネックウォーマーのようなものを身に着けて外気を直接吸い込むのを防いでました。
そしてついに安養からソウル市へ。
国道沿いに進むがバイパスが多いため思うように進めません。ビジネス街に迷い込み、道行く人にソウル駅はどう行けばいいか尋ねながら進路をとります。
高度経済成長期に建てられたであろうマンション群。
良才川沿いのイクリングロードを行くと、ソウルの中心部を貫流する漢江(ハンガン)に出ました。漢江沿いにはきれいなサイクリングロードが整備されています。ところどころコンビニ、トイレ、休憩所があります。自転車用品を取り揃えた売店まであります。
韓国の国会議事堂。水色のドーム型屋根。
警察も自転車に乗っています。
漢江橋を渡ってソウル駅へ。駅前に建てられた独立運動家の姜宇奎の足元で横たわっているのは……
宿に向かう前に日本大使館に行くことにしました。地図を見ながら大使館へ向かい、比較的人通りの少ない通りを進みます。すると警察の大型車両が四台縦列駐車されているのがみえました。そこが日本大使館の入り口でした。大使館前の歩道は警察官に防がれていて通ることはできません。そして、その向かいに本当に座っていました。その後方にも警察官が二人。居心地はあまりいい場所ではありませんね。すぐに立ち去りたくなりましたので、そっとその場を離れました。
その後、光化門前を通りすぎて
大統領官邸の青瓦台付近にある目星をつけていた宿に向かいます。この辺りはなぜかどこを通っても大勢の警察官が巡回しています。警察官に道を聞きながら宿へ。宿は住宅地の一隅にある庶民的な民家。
オーナーは不在のよう。連絡する手段がないので近くにいた警察官に携帯電話を借りてオーナーに電話しました。すぐに宿まで来てくれたオーナーの金さんはとても人のよさそうな方で日本語が堪能です。部屋に入って荷物を放り投げ、釜山(プサン)からソウルまで漕ぎきった充実感に一人でにやにやと満足げに気持ちの悪い笑みを浮かべ、それとともに襲っていた眠気に負けて目を閉じしばし眠りました。
この後3日間ソウルにいましたので、引き続いてソウル滞在記を更新できればと思います。
以上、ごっつあんでした。
韓国縦断ツアー 5日目
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